ーSylvie Vartanークラシック・クロスオーバーの布石を築いたエレガントなフレンチ・ポップの秀作!

概要
1961年にデビュー以来、常に最前線で活動、未だに現役を貫く、フランスを代表する国民的女性シンガー/アーティスト。
日本でも本国に勝るとも劣らぬ支持を得ており、特に「Irrésistiblement/あなたのとりこ」は、cm等で頻繁に使用され、世代を超越、常にリスナーを魅了し続けているのは周知の通り。

Sylvie Vartanとは

ブルガニアにて誕生。8歳からフランスのパリに生活拠点を移す。Elvis Presleyに魅了されたこと、そして実兄のEddie Vartanがジャズ・トランペッターであったことから、彼女自身も音楽業界に興味を示す。

1961年、Frankie Jordanとのデュオ・ナンバー「Panne d'essence」でデビュー。話題を集めるとRCAとレーベル契約を結ぶと共に本格的な歌手活動をスタート。当時は、ロックン・ロールの全盛期であり、Sylvie Vartan同様、Johnny HallydayEddy MitchellFrançoise HardyClaude Francois等と共に英米のロックン・ロール仏語でカヴァーする、いわゆるYéyéムーブメントを支え、フランス・ミュージック・シーンを活性化させた。
1965年には仏産Elvis Presleyの代表格、Johnny Hallydayと結婚(但し、後に離婚)、ビッグ・カップルの誕生と大きな話題となった。
日本では、映画『「Cherchez l'idole」の劇中歌「La plus belle pour aller danser/アイドルを探せ」が大ヒット、1965年の初来日で人気を決定づけた。アーティスト活動は順調なものの、1968年、1970年と2度の交通事故に見舞われる。特に、1970年の交通事故はでは、重症を覆い、その治療も兼ねて渡米。しかも、ここでダンス等、自身のアーティストとしてのポテンシャルを高めるべく、 Saturday Night Feverで知られる振付師Jojo Smithのコーチの下、見せるステージ技術を身に着ける。1970年開催の復活ステージ、オランピア劇場公演は、ダンサブルでダイナミックなパフォーマンスを披露、大成功を収める。また、楽曲もポップスやディスコ等、多彩なジャンルにトライ、現在も現役のアーティストとしてのキャリアを積み上げている。

おすすめアルバム

Sympathie

1970年代に入っての2作目のオリジナル・アルバムとして1972年にリリース。邦題の『哀しみのシンフォニー/Caro Mozart』は、イタリア語でレコーディングされた楽曲で仏盤オリジナルには未収録。日本では特別に追加収録されタイトル・トラック扱いとなった。もともとは「モーツァルト交響曲第40番ト短調K550第一楽章アレグロ」をベースに独自のアレンジを施したドラマチックなバラードで、後にトレンド化するクラシック・クロスオーバーの先駆けと言っても過言ではないだろう。
そのインパクトは絶大で、日本ではベスト・セラーを記録した。また、仏盤オリジナルのトップに収録されていた「La Moitié Du Chemin 」は、The Partridge Familyのカバー「I'll Meet You Halfway」なのが興味深い。ForeignerのMick Jonesは、60年代からSylvieのブレーンを務めており、今作でも比較的ロック色の強い「Annabel」、「Suzan」を提供、何処か英米ロック的なムードを授けることに貢献している。

60年代のYéyéギャルやフレンチポップの妖精といった特定のイメージを払拭、完全にSylvie Vartanたる唯一無二のスタイルを確立させた1作だ。

アナログ盤『Sympathie』
クラシック・クロスオーバーの布石を築いたエレガントなフレンチ・ポップ


CD『Sympathie』
クラシック・クロスオーバーの布石を築いたエレガントなフレンチ・ポップ


Youtubeの曲の説明

先述の通り、アルバムのハイライト・トラック。イタリア、日本、スペイン等でリリース、

ヒットを記録した。

SYLVIE VARTAN chante sur une musique de MOZART "Caro Mozart" (TV Italie 1975)

The Partridge Familyのカヴァー。オリジナルを重視しつつ、フレンチ・ポップ的なアレンジを施した好カヴァーだ。

SYLVIE VARTAN - La moitié du chemin (1972)

存在感のあるギターのイントロで英米ロック的な感覚を持った1曲。

Sylvie Vartan Annabel

Claude Francoisのブレーンを務めたJean-Pierre Bourtayreがソングライトを手掛けた

哀愁のバラード。往年のSylvieらしさが際立っている。「Annabel」とのカップリングで

シングル・カットもされている。

Sylvie Vartan - Parle moi de ta vie 1971

軽やかなステップを踏みたくなるポップ・ナンバー。シングル・カット曲。

SYLVIE VARTAN - Dilindam (1972)

Sylvieの主要ブレーン、Michel Mallory作。ドラマ性豊かなポップ・バラード。

日仏双方でシングル・カットもされている。

Sylvie Vartan - Riche 1971

個人の感想

Sylvie Vartanは、自分が洋楽に触れ、親しみ始めた切っ掛けを作ってくれた最初のアーティスト。

初めていったライヴもSylvieの中野サンプラザ公演。非常に思いが強い存在だ。「Let The Sunshine In」や「Bad Moon Rising」、「Proud Mary」といったカヴァーも当時はSylvieのオリジナル曲と信じ込んでいた、ある意味、ロックの名曲を教えてくれた師匠といったら大袈裟か、いや本当にそうかも知れない。幸いなことにSylvieに直接インタビューさせて頂いた経験に何度か恵まれたが、本当に記憶力が良い人。

1970年のオランピア劇場での復活公演の時のエピソード、Jojo Smithのコーチして貰った上、ステージにも参加、その敬意を込めてアルバム・ジャケットに彼が映るようにした等々、色々語ってくれた。また、飽きっぽいけど、自分が決めたことは徹底してやり遂げる、自分が出来ないと思ったらスッパリ引退する等々、ここでは書き尽くせない程に様々なエピソードがある。これだけのキャリアを誇るだけに一言では語り尽くせない活動歴、今後もタイミングを見つつ、Sylvieにはこだわり続けて行く。ちなみに、『哀しみのシンフォニー/Caro Mozart』の企画が決まった時に、スタッフからモーツァルトにチャレンジだと言われて、彼女自身もモチベーションが一気に上がったという。